これからは桜トンネルも!鹿児島・知覧平和公園で平和の尊さを感じる
特攻の歴史を語り継ぐ町・知覧を象徴する公園。園内には「知覧特攻平和会館」や「三角兵舎」などが点在し、戦争の悲惨さと平和の尊さを現在に伝えている。入口に約120本の桜が植えられており、県内屈指の花見スポットとしても評判です。
知覧ってどんなところ?
第二次世界大戦末期、東南アジア諸国に近い鹿児島には、旧日本軍の本土防衛の拠点として多くの前線基地が設けられていました。米軍の沖縄上陸に伴い、窮地に追い込まれた旧日本軍は、爆装した飛行機もろとも敵艦に体当たりする特攻作戦を敢行。知覧基地からは、昭和20年(1945)4月1日の初出撃から6月11日の攻撃終了までに439名もの若い命が空に散っていったという悲しい歴史があります。
特攻隊員の遺影や遺品を見て戦争の悲惨さを知る
知覧特攻平和会館は、南九州や沖縄・台湾に設けられた特攻基地から、沖縄決戦に飛び立った隊員1036名の遺品や遺影、遺書を中心に展示・公開。陸軍の疾風や海底から引き揚げられた海軍の零戦など実機も展示されています。
中央展示室では、特攻隊員1036名の遺影や家族に宛てた手紙、辞世の句などを出撃・戦死した順に展示。知覧基地の当時の配置がわかる模型や特攻隊員と交流をもった人たちの証言映像なども見ることができます。また疾風展示室では、戦時中に約3500機生産されたものの、世界でこの一機のみしか残っていない特攻機を展示しています。
隊員たちが最後の時を過ごした兵舎
隊員たちが出撃前の数日を過ごした兵舎が、特攻平和会館の隣に再現されています。空襲を避けるため松林に半地下式に造られたこの兵舎で、隊員たちは出撃命令を待っていたそう。
家族宛ての手紙や遺書もこの中で書いていたといわれています。
知覧特攻平和会館へと向かう道は、春になると桜のトンネルに。この桜は特攻隊慰霊のために植えられたものです。
掲載した情報をはじめ、鹿児島についてもっと知りたい方は、『るるぶ鹿児島指宿霧島桜島'20』をご覧ください。