大河ドラマ『鎌倉殿の13人』聖地巡礼!梶原景時ゆかりの梶原太刀洗水
『鎌倉殿の13人』といえば、2022年からNHKで放送予定の大河ドラマ。作・脚本を三谷幸喜氏が務め、主人公となる鎌倉幕府第2代執権の北条義時を小栗旬氏、源頼朝を大泉洋氏、源義経を菅田将暉氏が演じるなど、豪華なキャスティングで話題を集めています。梶原景時は鎌倉幕府で権勢を振るうも、悲劇的な最期で知られる頼朝の忠臣。そのゆかりの地、「梶原太刀洗水(かじわらたちあらいみず)」は鎌倉の奥で静かに、そして清らかに流れていました。
十二所にひっそりと佇む梶原景時ゆかりの地「梶原太刀洗水」
JR鎌倉駅から「金沢八景・ハイランド・太刀洗」行きのバスに揺られること12分。鎌倉のランドマークでもある鶴岡八幡宮、竹林が広がる報国寺、アジサイや紅葉が美しい一条恵観山荘などが次々と車窓を流れていきます。
「十二所神社」のバス停で下車したら、小川に沿うように歩くこと10分足らず。美しい清流が流れ、山の雰囲気が色濃くなりはじめたころ、見逃すわけにはいかない、鎌倉幕府の御家人ゆかりの地がささやかに姿を現しました。
山肌に掛けられた竹筒からとうとうと流れる水。目をこらさないと気づかないようなこの竹筒から流れる水こそ、「梶原太刀洗水」です。その清らかで良質な水は、定番スポット「銭洗弁財天」の水などとともに、「鎌倉五名水」のひとつに数えられています。
名前に梶原と付いてこそいますが、鎌倉市内の梶原エリアはJR鎌倉駅から真逆の方向。それでも同じ名前を冠するのは、どちらも源頼朝の厚い信任を得ていた御家人、梶原景時と関係しているからです。
現在の梶原エリアに一族の本拠地を構えていたとされる景時は、鎌倉時代初期の歴史書である『愚管抄』では「鎌倉ノ本体ノ武士」と記されていました。幕府の真髄のような武士。そう称賛されるほど、頼朝の忠臣としての役割を果たしていたのです。
承久4年(1180)、景時は平家側に与し、頼朝の討伐に向かいました。しかし、機転をきかして敗走中の頼朝を救出。頼朝の再挙により源氏側が大軍に膨れ上がった翌年、景時は頼朝の御家人となりました。教養のあった景時は重用され、高位の職に任じられるように。そして寿永2年(1183)には、頼朝の命により豪族の上総広常を暗殺。その後、刀に残る血糊を落としたといわれているのが、この水場なのです。
広常の暗殺理由には諸説ありますが、そのひとつは謀反の疑いでした。景時は双六に興じている最中、そのもつれと見せかけ、斬りかかったといわれています。しかし翌年、広常が上総一ノ宮に奉納していた甲冑から書状が見つかり、そこには頼朝の武運を祈る言葉が綴られていました。そのことを景時が知っていたら、ここで刀を洗うこともなかったかもしれません。
朝夷奈切通、「十二所神社」へ
「梶原太刀洗水」の先では、朝夷奈切通の道が続いています。鎌倉七口のひとつで、市内に数ある切通のなかでも、とくに昔の姿をとどめている道です。鎌倉時代の人々になりきって、往時を思いながら歩いてみてはいかがでしょうか。
バスで引き返す前に、同じ十二所エリアにある「十二所神社」にも足を延ばしましょう。
社殿の軒下に目をこらすと、波とたわむれる2羽のウサギが彫られています。月からの使者なのでしょうか。神社建築として珍しいウサギの彫刻も「十二所神社」では見逃せません。
景時は鎌倉幕府樹立の功労者でしたが、最期には追放されて一族全滅という非業の死を遂げます。また、現代では源義経の悲劇を招いた悪役としても知られています。権力闘争の中心に居続けた御家人を『鎌倉殿の13人』で演じるのは、歌舞伎俳優の中村獅童氏。梶原太刀洗水でのやりとりがどのように描かれるのか、放送を楽しみに待ちましょう。
Text & Photo : minimal
●新型コロナウイルス感染症対策により、記事内容・営業時間・定休日・サービス内容(酒類の提供)等が変更になる場合があります。事前に店舗・施設等へご確認されることをおすすめします。
●掲載の内容は取材時点の情報に基づきます。内容の変更が発生する場合がありますので、ご利用の際は事前にご確認ください。
●旅行中は「新しい旅のエチケット」実施のご協力をお願いします。