【西荻窪】昭和の余韻が残る喫茶店「それいゆ」で、時代を超えて愛されるナポリタンと水出しコーヒーを
JR中央線・西荻窪駅からほど近く。人の行き交う通り沿いに、長年この街の日常に寄り添ってきた喫茶店「それいゆ」があります。昭和の空気をまとった店は、今も変わらず、訪れる人を温かく迎え入れてくれる存在。昔ながらの食事メニューやケーキ、丁寧にいれられるコーヒー、そして店内に流れるゆったりとした時間。特別な目的がなくても自然と心が落ち着く、そんな場所です。
昭和の空気をまとった店内で、時間がゆっくりほどける

東京都・西荻窪駅南口を出て、線路沿いの西荻マイロード商店街を進み、八百屋の角を曲がって路地に入ると、青いファサードに「それいゆ」の文字が目に入ります。昭和の空気をまとった外観は控えめでありながら、ふと足を止めたくなる存在感を放っています。

「それいゆ」は1965年創業。2025年10月に、節目となる創業60年を迎えました。店主の廣田桃江(ひろたももえ)さんによると、店を立ち上げたのは廣田さんの母、叔母、父の3人。その後、娘世代にあたる従兄弟同士の2人が2代目として店を受け継いだそうです。
開店当初、店舗は現在の3分の1ほどの広さだったそう。当時は隣に小料理屋がありましたが、そこをつなげ、50年ほど前に現在の形になりました。それ以降、店のたたずまいや空気感はほとんど変わっていないのだとか。長い年月を経ても色あせないのは、流行に左右されず、日常に寄り添い続けてきたから。まさに60年分の時間が、静かに積み重なった空間です。

ドアを開けると、店内にはクラシックやジャズが静かに流れています。正面に目に入るのは、やわらかなアールを描くこぢんまりとしたカウンター。中央には4つのサイフォンが並び、思わず視線が引き寄せられる、店の顔のような存在です。ひとりで本を読む人、静かに会話を楽しむ人…。それぞれが思い思いの時間を過ごしています。

窓に面した開放的なスペースが空いていたので、そこに腰を下ろすことにしました。やわらかな自然光が差し込むこの席は、考えごとをしたり、ぼんやり過ごしたりするのにちょうどいい場所。肩の力がふっと抜けていくのを感じます。
窓際に並ぶ児童書は、店主・廣田さんのお子さんがかつて読んでいたものだとか。家族とともに長い時間を重ねてきた店だからこそ、空間のあちこちにささやかな物語が息づいています。

目線を入り口のほうへ向けると、ショーケースにはケーキやコーヒーゼリーといったスイーツが並んでいます。「それいゆ」にきたら、甘いものははずせません。奥の棚にある人形は、創業当時にヨーロッパの蚤の市で買ってきたものだそう。

「さつまいものチーズタルト」600円や「キャラメルクリームスコーン」460円、「ザッハトルテ」550円、「珈琲ゼリーロワイヤル」750円など、ショーケースに並ぶのは常に4~5種類ほど。これらはすべて店主のお母さんたちが残したレシピで、全部で100種類近くにも及ぶそうです。
ショーケースをのぞき込み、どれにしようかと迷うのも楽しい時間。この日は「ザッハトルテ」を選びました。

注文を待つ間、せっかくなので店内の本棚に並ぶ本から気になる一冊を手に取ってみることに。自分の本を持ち込むのもいいけれど、ここではあえて、その場での出合いに身を委ねてみるのも楽しみのひとつです。
こんなときはついスマホに手が伸びてしまいがちですが、本があるだけで過ごし方は少し変わります。店内を見渡すと、スマホを眺めている人よりも、本を読んでいる人の姿が目に留まるのも印象的。そんな光景からも、西荻窪という街のあたたかな空気が伝わってきます。
ナポリタンに、水出しコーヒー。時代を越えて続く味
「それいゆ」では、「ハムトーストサンド」780円といった軽食から、「特製カレーライス」1000円、「チーズカレー」1000円などの食事メニューまで幅広く楽しめます。なかでも最近の人気は、「ナポリタン」。
このナポリタンには、店主・廣田さんの思い出が詰まっています。誕生のきっかけは、廣田さんが「それいゆ」で働く前、まだ会社員だった約25年前。
当時、よく一緒にランチへ行っていた同僚や先輩たちが決まってナポリタンを選ぶ姿を見て、「どうしていつもナポリタンなんですか」と尋ねたことがあったそうです。すると返ってきたのは、「ナポリタンは、定期的に食べたくなる味だから」という一言でした。
ちょうどその頃、「それいゆ」では新しいメニューを検討していたタイミング。「みんなが知っている味のほうがいいのでは」と提案したことから導入されたのが、現在の王道ナポリタンです。いまも多くの人に愛され続けるこの一皿は、そんな日常の記憶から生まれました。
また、たっぷりのチーズとナスをのせた「ナスのチーズナポリタン」1200円は、なんと「ナポリタン」が登場する前から親しまれてきたというので、意外です。

ナポリタンと聞くと、太めの麺にこってりとしたソースが絡むひと皿を思い浮かべますが、「それいゆ」のナポリタンはやや細めの麺を使用。たまねぎやピーマン、ウインナーなどの具材がたっぷりとのり、親しみのある味わい。
「うちの食事やケーキは、特別なものではなくて。どちらかというと、食べ慣れているものを安心して食べてもらえたらと思っているんです。おうちの延長のように感じてもらえたらうれしいですね」と、店主・廣田さんは話します。

そして、もうひとつの「それいゆ」の主役が水出しコーヒー。店の中心にあるカウンターにはサイフォンが置かれ、1日から2日ほどかけて、ゆっくりと抽出されています。使われているのは、リニューアルした約50年前から稼働し続けている、現在は製造されていない機械。長い時間を重ねてきた道具が、いまも変わらず一杯のコーヒーを支えています。
「それいゆ」の「アイスコーヒー」は、しっかりとした苦味はありつつも、水出しならではの製法によって角が取れ、まろやかで驚くほどなめらかな口当たり。濃さは感じられながらも重たさは残らず、すっと喉を通る飲み心地です。ゆっくりと時間をかけて抽出されたからこそ生まれる、やさしい余韻が静かに残ります。

食後には、さきほどショーケースに並んでいた「ザッハトルテ」を。表面には銀色のシュガースプレーがきらりと散り、アーモンドスライスがあしらわれています。

しっとりとしたチョコレート生地はやさしい甘さで、どこか懐かしさを感じる味わい。チョコレートの風味がしっかりと感じられ、満足感がありながらもコーヒーと合わせると心地よくまとまります。平日の15~17時限定で、飲み物とケーキをセットにすると、合計金額から100円オフになるのもうれしい。
「それいゆ」では、コーヒーや紅茶のほかに、自家製の「ホットレモネード」といった温かいドリンクも用意されています。「冬はビタミンCを摂ってくださいね」と、店主・廣田さん。寒い季節には、レモンのさわやかな酸味とやさしい甘さがじんわりと体を温めてくれる一杯です。
街とともに歩んできた「それいゆ」の変わらない存在感

トレンドを追いかける喫茶店ではなく、長い時間をかけて西荻窪の日常に静かに根づいてきた存在「それいゆ」。窓の外に目を向けると、店内と同じ目線で通りを歩く人の姿が見え、街の暮らしがそのまま続いていることを感じさせてくれます。
決まった時間に訪れる常連さんや散歩の途中にふらりと立ち寄る人、久しぶりに西荻窪を訪れて懐かしさに誘われる人。なかには、創業当時から毎朝欠かさずコーヒーを飲みに通っている常連客もいるとか。

窓からちょうど見えるコーヒーサイフォンとコーヒーを描いた外観タイルも美しく、やわらかな自然光が差し込む素敵な写真を撮ることができます。

訪れるお客さんから「素敵ですね」と声をかけられることも多いという床。以前は木張りだったものを、途中で花柄の床材に張り替えたのだそう。やさしい柄が空間にほどよい表情を添え、店内に流れるゆったりとした時間に、静かに寄り添っています。
店内の壁には、イラストレーター・目黒雅也(めぐろまさや)さんの作品が飾られています。目黒さんは、駆け出しの頃から「それいゆ」を仕事場のひとつとして利用してきたのだそう。なかでも店主・廣田さんのお気に入りだというのが、こちらの一枚。

創業60年を記念して制作されたジン『珈琲とエポック』には、目黒さんによるエッセイも収録されています。そこには、「それいゆ」で過ごしてきたさまざまな時間の記憶や、人生の節目に寄り添ってくれた場所としての思いがつづられています。
「客の人生のステージとして生き続ける喫茶店」。目黒さんは「それいゆ」をそんなふうに表現しています。店内では、ジンのほかにも60周年を記念したオリジナルグッズが販売されていて、長い年月を祝う思いが形になった品々に出合えるのも、この節目ならではの楽しみです。
若者から年配の方まで、幅広い世代が訪れる「それいゆ」。長い時間をかけて積み重ねてきた、変わらないメニューと空気感があるからこそ、人を惹きつけ続けています。西荻窪という街の穏やかさを映すような空間のなかで、時間の流れに身を委ねることの贅沢さを、あらためて思い出させてくれる場所です。
■それいゆ
住所:東京都杉並区西荻南3-15-8
TEL:03-3332-3005
営業時間:10~20時(日曜は~17時)
定休日:不定休
Text:松崎愛香
Photo:yoko
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