西郷隆盛像

西郷隆盛は何をした人? その功績や生涯、性格をわかりやすく解説

るるぶ&more.編集部 大河ドラマ 城・城郭 鹿児島県
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歴史的背景を知ると、おでかけがもっと楽しくなるはず! この記事では、「明治維新」の立役者、西郷隆盛について紹介します。彼の生涯を年表で追いながら、「薩長同盟」締結や「江戸城」無血開城といった功績、そして「西南戦争」での最期までをわかりやすく解説。愛犬家という意外な一面など、その人柄にも注目です。

Summary

西郷隆盛は何をした? まずは年表でチェック

西郷隆盛像

西郷隆盛が何をした人物かを知るには、その生涯の流れを順番に追うのがわかりやすい方法。まずは、西郷隆盛に関するおもなできごとを年表で確認しましょう。

  • 文政10年(1827):薩摩藩の下級武士の家に生まれる
  • 嘉永4年(1851)頃:島津斉彬(しまづなりあきら)に見出され、藩政に関わり始める 
  • 安政5年(1858):斉彬の死後、奄美大島へ
  • 元治元年(1864):「禁門の変」で薩摩藩軍を指揮し、復帰を果たす
  • 慶応2年(1866):「薩長同盟」の締結を主導
  • 慶応4年/明治元年(1868):「江戸城」無血開城を実現
  • 明治4年(1871):「廃藩置県」など明治政府の改革を推進
  • 明治6年(1873):征韓論をめぐる「明治六年の政変」で政府を去る
  • 明治7年(1874):鹿児島へ帰郷し私学校を設立
  • 明治10年(1877):「西南戦争」を率い、城山で敗死

それぞれのできごとについて、くわしく解説していきます。

文政10年(1827):薩摩藩の下級武士の家に生まれる

西郷隆盛は、文政10年(1827)に薩摩藩(現在の鹿児島県)で生まれました。家は武士といっても身分が低く、裕福ではありませんでした。それでも幼い頃から近所の子どもたちをまとめる、頼りになる存在だったと伝えられています。

学問や武道にまじめに取り組みながら育った西郷は、やがて日本の歴史を大きく動かす人物になっていきます。貧しくても懸命に努力したこの少年時代が、後の西郷の土台を作りました。

嘉永4年(1851)頃:島津斉彬に見出され、藩政に関わり始める

西郷隆盛の人生が大きく変わったのは、薩摩藩のリーダー(藩主)である島津斉彬(しまづなりあきら)との出会いがきっかけです。斉彬は、外国の力に負けないよう藩を強くしようとしていた、先進的な考えをもつリーダーでした。そんな斉彬が、西郷の才能に目をとめます。

西郷は1851年頃から斉彬のそばで、藩の政治や外交を学ぶ機会を得ました。この経験が、後に西郷が国全体のことを考えて行動できる人物になるための大切な学びの時間となりました。

安政5年(1858):斉彬の死後、奄美大島へ

安政5年(1858)、西郷隆盛は突然辛い状況に追い込まれます。頼りにしていた島津斉彬が急に亡くなってしまい、西郷は心の支えを失いました。さらに当時の幕府(江戸時代の政府)が、自分たちに反対する人々を厳しく取り締まる動きを強めていました。

その流れのなかで西郷は、幕府の目から隠れるため、藩の命で奄美大島へ潜居することになります。約3年間の孤独な生活でしたが、この時期が西郷をより強く、深みのある人物に育てたといわれています。

元治元年(1864):「禁門の変」で薩摩藩軍を指揮し、復帰を果たす

奄美大島から戻った西郷隆盛は、やがて再び歴史の表舞台に立ちます。元治元年(1864)、京都で「禁門の変(きんもんのへん)」という武力衝突が起きました。長州藩(現在の山口県)の武士たちが、朝廷(天皇のいる場所)へ力ずくで入ろうとした事件です。

西郷はこの戦いで薩摩藩の軍を指揮し、長州藩を退けることに貢献しました。藩を代表する指揮官として活躍した場面であり、西郷の粘り強さが光ったできごとでもあります。

慶応2年(1866):「薩長同盟」の締結を主導

西郷隆盛が何をしたかを語るうえで、「薩長同盟(さっちょうどうめい)」はとても重要なできごとです。「禁門の変」で戦い合った薩摩藩と長州藩は、もともと仲の悪い関係でした。しかし西郷は、「江戸幕府を倒して新しい国をつくる」という同じ目標のために、かつての敵と手を結ぶべきだと考えます。

慶応2年(1866)、坂本龍馬(さかもとりょうま)らの仲介を受けながら、西郷はこの同盟をまとめ上げました。敵同士が仲間になるこの決断が、「明治維新(めいじいしん)」への大きな一歩となりました。

慶応4年/明治元年(1868):「江戸城」無血開城を実現

慶応4年/明治元年(1868)、西郷隆盛は日本の歴史に残る大きな決断をします。新しい政府の軍が江戸(現在の東京)へ向かうなか、このまま戦いになれば、多くの市民が巻き込まれる危険がありました。西郷は幕府側の代表である勝海舟(かつかいしゅう)と話し合い、戦わずして「江戸城」を明け渡すことで合意します。

これが「江戸城」の無血開城(むけつかいじょう)です。「血を流さずに城を開いた」という意味で、戦いを避けたことで江戸に暮らす多くの人々の命が守られました。

明治4年(1871):「廃藩置県」など明治政府の改革を推進

「明治維新」の後、西郷隆盛は新しい政府の重要な人物として改革を進めていきます。明治4年(1871)に行われた「廃藩置県(はいはんちけん)」は、それまで各地の藩主がもっていた権限をなくし、国が一体となって動ける仕組みに変えた大改革です。西郷はこの改革を支える重要な役割を担いました。

この時期、西郷は陸軍大将や参議(さんぎ:政府の重要な役職)として活躍し、近代的な日本の国づくりに深く貢献しました。

明治6年(1873):征韓論をめぐる「明治六年の政変」で政府を去る

政府の中心にいた西郷隆盛ですが、明治6年(1873)に政府を去ることになります。当時、隣国・朝鮮との関係が悪化していました。西郷は「自分が直接朝鮮へ行って話し合いをしたい」と主張しました(これが「征韓論(せいかんろん)」とよばれる考えです)。しかし、外国を視察してきた大久保利通(おおくぼとしみち)らは「今は国内を整えることが先だ」と反対します。

結果として西郷の意見は退けられ、長年の友人だった大久保とも決別することになりました。この対立は「明治六年の政変」とよばれ、西郷は政府のすべての職を辞して鹿児島へ帰っていきます。

明治7年(1874):鹿児島へ帰郷し私学校を設立

政府を離れた西郷隆盛は、故郷の鹿児島で新しい活動を始めます。明治7年(1874)、西郷は元武士の若者たちに学問や武道を教えるための「私学校(しがっこう)」を作りました。多くの若者がこの学校に集まり、西郷を慕いました。

西郷本人は静かに暮らすことを望んでいたとされています。しかし、私学校は時間とともに、新政府のやり方に不満をもつ人々の集まりへと変わっていきます。それがやがて、「西南戦争」へとつながっていきました。

明治10年(1877):「西南戦争」を率い、城山で敗死

西郷隆盛の生涯は、明治10年(1877)の「西南戦争(せいなんせんそう)」で幕を閉じます。新政府の方針に不満をもつ元武士たちが西郷を総大将として擁立し、鹿児島で戦いを起こしました。西郷はその戦いに加わります。

しかし、近代的な武器と兵力をもつ政府軍には勝てず、西郷軍は各地で敗北を重ねます。最後は鹿児島の城山(しろやま)に追い詰められ、明治10年(1877)9月24日に西郷隆盛は亡くなりました。享年49歳でした。波乱に満ちたその生涯は、今もなお多くの人に語り継がれています。

「薩長同盟」って?

「薩長同盟」とは、慶応2年(1866)に薩摩藩と長州藩が結んだ政治的な同盟のことです。それまで両藩は激しく対立していて、特に元治元年(1864)の「禁門の変」では直接戦い合った間柄でした。しかし、江戸幕府を倒して新しい国をつくるという共通の目標が、かつての敵同士を結びつけます。

仲介役として知られるのが、土佐藩(現在の高知県)出身の坂本龍馬です。 西郷隆盛は薩摩藩の代表として交渉にあたり、同盟の締結を主導しました。この同盟によって倒幕の動きは一気に加速し、翌年の「大政奉還」、そして「明治維新」へとつながっていきます。

多くの人々を守った「江戸城」無血開城

江戸城無血開城とは、慶応4年/明治元年(1868)に、戦いを起こすことなく江戸城が新政府軍に明け渡されたできごとです。当時、新政府軍は江戸へ向けて進軍していて、このまま戦いになれば、江戸の町は戦場となる危険がありました。そこで新政府軍の代表である西郷隆盛と、幕府側の代表である勝海舟が話し合いの場を設けます。

両者の交渉によって、幕府は戦わずして「江戸城」を明け渡すことに合意しました。この決断によって大規模な戦いが避けられ、江戸に暮らす多くの人々の命と町が守られました。いっさいの戦闘を起こさずに城を開いたことから、「無血開城」とよばれています。
えど

大規模な改革「廃藩置県」

「廃藩置県」とは、明治4年(1871)に明治政府が行った大規模な改革のことです。江戸時代、日本全国には多くの藩があり、それぞれの藩主が地域を治めていました。この仕組みでは、国全体がバラバラに動いてしまい、近代的な統一国家をつくることが難しい状態でした。

そこで明治政府は、全国の藩を廃止して新たに「県」を設置し、国が直接地方を管理する仕組みに切り替えます。これが「廃藩置県」です。この改革によって、日本は中央集権的な近代国家としての土台を整えることができました。西郷隆盛はこの改革で、重要な役割を担った人物のひとりです。

「西南戦争」での敗戦

「西南戦争」とは、明治10年(1877)に鹿児島の元武士たちが明治政府に反発して起こした戦いです。日本で最後の内戦とされています。

明治政府が進める新しい国づくりのなかで、元武士たちは刀をもつことや特別な給料をもらう権利などを次々と失っていきました。その不満が爆発したのが、この戦いです。元武士たちは、鹿児島で若者たちに学問や武道を教えていた西郷隆盛を総大将として担ぎ上げ、政府に戦いを挑みます。

西郷軍は各地で懸命に戦いましたが、新式の武器をもつ政府軍の前に次第に追い詰められていきます。最後は鹿児島の城山という場所まで追い込まれ、同年9月24日に西郷隆盛は亡くなりました。この戦いの終わりとともに、武士による武力での反抗の歴史も幕を閉じました。

西郷隆盛の性格と人物像

西郷隆盛像 座り

西郷隆盛はどのような人物だったのでしょうか。功績だけでなく、その人柄や生き方も多くの人に語り継がれています。ここでは西郷隆盛の人物像を3つのエピソードからご紹介します。

  • 下級武士から頂点へ上り詰めた行動力
  • 大久保利通との深い友情と決別
  • 犬好きで知られる意外な素顔

それぞれ見ていきましょう。

下級武士から頂点へ上り詰めた行動力

西郷隆盛の人物像を語るうえで欠かせないのが、その強い行動力です。西郷は身分の低い武士の家の生まれで、決して恵まれたスタートではありませんでした。それでも、島津斉彬に才能を見出されると、持ち前の行動力で頭角を現していきます。

多数の困難を乗り越えながら、「薩長同盟」の締結や「江戸城」無血開城など、日本の歴史を変える場面で力を発揮しました。どんな状況でも前を向き続けたその姿勢が、西郷隆盛という人物の大きな魅力のひとつです。

大久保利通との深い友情と決別

西郷隆盛と大久保利通は、同じ鹿児島の出身で幼なじみでした。ともに「明治維新」を成し遂げた盟友でもあり、2人は長年にわたって強い信頼関係で結ばれていました。しかし明治6年(1873)の「明治六年の政変」をきっかけに、その関係は大きく変わります。朝鮮への対応をめぐって意見が対立し、西郷は政府を去ることになりました。

幼い頃から苦楽をともにした友との決別は、西郷にとって政治的な敗北以上に辛いできごとだっただろうといわれています。

犬好きで知られる意外な素顔

西郷隆盛には、歴史の教科書には載らない意外な一面があります。それが大の犬好きという素顔です。東京の「上野恩賜公園」にある西郷隆盛の銅像にも、傍らに犬(薩摩犬の愛犬ツン)が連れ添っています。西郷は実際に多くの犬を飼い、狩りに連れて行くほど犬をかわいがっていたと伝えられています。

幕末から明治にかけて日本の歴史を動かした偉大なリーダーが、犬たちに囲まれてくつろいでいる姿は、西郷隆盛の人間的な温かさをよく表しているエピソードです。

西郷隆盛がすごいといわれる理由

西郷隆盛像

西郷隆盛がすごいといわれる理由は、単に大きなできごとに関わったからではありません。その場面ごとに、自分の損得を超えた判断と行動をとり続けたからです。

たとえば「江戸城」無血開城では、戦えば多くの命が失われる状況で、江戸の人々を守るために話し合いという道を選びました。また「薩長同盟」では、かつて戦い合った敵と手を結ぶという、当時では考えにくい決断を実行に移しています。

さらに、身分の低い家に生まれながら明治政府の中枢を担う人物へと成長し、最後は自分がつくった明治政府と戦って散ったその生き方は、多くの人の心を今もひきつけています。功績の大きさだけでなく、その人間としての生きざまが、西郷隆盛がすごいといわれる理由です。

まとめ|西郷隆盛は何をした人か

西郷隆盛は、江戸時代の終わりから明治時代の始まりにかけて、日本の歴史を大きく動かした人物です。

薩摩藩の身分の低い武士の家に生まれながら、薩長同盟の締結や江戸城無血開城など、日本の近代化に欠かせない場面で重要な役割を果たしました。自分の損得よりも、人々の命や国の未来を優先した判断と行動が、多くの人に語り継がれています。

一方で、明治政府の方針と対立して下野し、最後は自らが関わってつくった政府と戦って亡くなるという、波乱に満ちた生涯でもありました。

「西郷隆盛は何をした人か」と問われたとき、ひと言で答えるなら「命をかけて時代を切り開いた人物」といえるのではないでしょうか。その生き方は、時代を超えて今もなお多くの人の心をひきつけています。

Photo:pixta

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